批判の態度が公正で厳しいことを言います。
『春秋』は、春秋時代の魯(ロ)の国の年代記です。魯の国は孔子の生まれ育った国です。
『春秋』は、魯の隱公(インコウ)元年(B.C.722)から哀公(アイコウ)十四年(B.C.481)に至る十二代、242年間のことが編年体でまとめられた年代記です。
『春秋』は、魯の史官の記録に基づいて孔子が手を加えたと伝えられています。
その際、孔子は簡潔で微妙な表現の中に、鋭く、厳しい批判を込めて改修したと言われています。
例えば、隱公元年の出来事として次の文章があります。
夏五月、鄭伯(テイハク:テイの君主)、段(ダン:人名)に鄢(エン:地名)に克(か)つ。
鄭伯と段(共叔段:キョウシュクダン)は兄弟です。鄭伯が兄で段が弟です。
① 共叔段は弟としての道を誤まったので、「弟の段」とは記さない。
② 二國君の間で行なわれるような激しい戦いだったので、「克(か)つ」と記す。
③ (兄と書かずに)「鄭伯」とするのは、弟を善導できなかったから。
という理由で、『鄭伯、段に鄢に克つ』。という短い文章でまとめられたそうです。
これが【春秋の筆法】による表現だそうです。
昭和22年 (1947年)の5月3日、日本国憲法が施行されました。『憲法記念日』です。
日本国憲法は「主権在民」「戦争放棄」「基本的人権の尊重」を三つの柱にしています。
ポツダム宣言に基づいた連合国の占領下の国会において定められたもののため、
連合国から押し付けられた憲法として、改憲を望む声もありますし、
平和憲法と高く評価する人も多く、
この日は、改憲派、護憲派のそれぞれが集会などを開きます。