【三軍(サングン)骨(ほね)を暴(さら)す】と訓読みされまして、戦いに敗れて多くの兵士が亡くなることを表わします。
【三軍】は、大軍の意味です。
『春秋左氏伝』襄公26年の出来事として記載があります。
叔向曰、秦・晉不和久矣。
叔向(シュクキョウ)曰く、秦・晉和せざること久し。
叔向は言いました。秦と晉は和平せぬことが久しかった。
今日之事、幸而集、晉國賴之。。
今日の事、幸ひにして集(な)らば、晉國之に賴らん。
今日のことが、もし幸いに成功するならば、我が国は大いに楽になるであろうし、
不集、三軍暴骨。
集らずんば、三軍骨を暴[さら]せん。
もし失敗したら、三軍の士卒が戦場に骨をさらすであろう。
子員道二國之言無私。
子員(シウン)は二國の言を道(い)いて私無し。
あの子員は両国の言うところを公平にとりついで、私見を交えることをしない。
子常易之。
子は常に之を易う。
ところがきみ(子朱という人)は常々双方の言うところを自分の意見によって変えるではないか。
姦以事君者、吾所能御也。
姦以て君に事うる者は、吾が能く御ぐ所なり、と。
不正のやりかたで君公に仕える者は、これを防いで寄せ付けないようにするのが、
私の仕事なのだ。
拂衣從之。
衣を拂いて之に從う。
こう言って、そでをまくって子朱に詰め寄った。
昭和26年(1951年)の9月8日に、サンフランシスコで「対日平和条約」が調印され、
翌年の4月28日にその効力が発生されました。