狐は、死ぬときは穴を掘って、生まれ育った丘の方に頭を向けるという意味から、故郷を忘れないことのたとえです。
【孤死首丘】は中国古典に頻出します。
『礼記(ライキ)』檀弓(ダングウ)篇の【孤死首丘】です。
君子曰、樂樂其所自生、禮不忘其本。
君子曰く、楽(ガク)はその自(よ)りて生ずる所を楽しみ、礼はその本(もと)を忘れず。
君子が言うには、音楽は、その音楽作られた契機となったものを楽しむものであり、
礼儀は、その礼が作られたところの根本を大事にしてわすれない。
古之人有言曰、【狐死正丘首】。仁也。
古の人、言(ゲン)有りて曰く、狐の死するとき正しく丘に首(むか)うは、仁なり、と。
古人が、こんなことを言っている。狐は、(死ぬときは穴を掘って、)生まれ育った丘の方に
正しく頭を向けるという。育った故郷の恩愛を忘れないと言うものだ。
『楚辞(ソジ)』九章・哀郢(アイエイ)の【孤死首丘】です。
曼余目以流觀兮、
余が目を曼(とほ)くして以て流觀(リュウカン)し、
私の目をはるかにして眺めまわし、
冀壹反之何時。
壹(ひと)たび反(かへ)らんと冀(こひねが)ふも之れ何れの時ぞ。
一たび故郷へ帰ろうと願っても、それは何時のことか。
鳥飛反故郷兮、【狐死必首丘】。
鳥は飛んで故郷に反り、狐は死して必ず丘に首(まくら)す。
鳥は飛んで故郷に帰り、狐は死ぬとき、古巣の丘の方を枕にするという。
信非吾罪而弃逐兮、何日夜而忘之。
信(まこと)に吾が罪に非ずして棄逐(キチク)せらる。何ぞ日夜にして之を忘れん。
まことに自分の罪でないのに追放されたのである。どうして日夜に故郷を忘れようか。
『淮南子(エナンジ)』説林訓(ゼイリンクン)の【孤死首丘】です。
鳥飛反郷、兔走歸窟、
鳥飛びて郷に帰り、兎走りて窟(クツ)に帰り、
鳥は飛んで故郷に帰り、兎は走って洞窟に帰り、
【狐死首丘】、寒將翔水、
狐 死して丘に首い、寒将(カンショウ)水を翔(かけ)るは、
狐は死ぬとき首を丘に向け、寒将(水鳥)は水面を飛翔(ヒショウ)する。
各哀其所生。
各々その生まるる所を哀(いつくし)めばなり。
それぞれの生まれた場所を懐かしむからである。