【徹頭徹尾】とは、頭から尻尾まで貫き徹す、ということで、始めから終りまで貫き通すと言う意味です。
朱子は、【徹頭徹尾】の言葉をよく使ってます
1) 敬字の工夫は乃ち聖門の第一義なり、【徹頭徹尾】、頃刻も間断すべからず。
2) 敬の字はこれ【徹頭徹尾】工夫なり。格物致知より治国平天下にいたるまで、皆ここを外れず。
3) けだし聖賢の學は、【徹頭徹尾】ただこれ一の敬の字のみ。
朱子のなかで、『敬』というのは、人に対する敬意の意味から、自分自身に対する心のあり方にまで及んでいます。
『吾輩は猫である』第五話に【徹頭徹尾】がでています。
立場を換えて見ればこのくらい単純な事実は彼等の社会に日夜間断なく起りつつあるのだが、
本人逆(のぼ)せ上がって、神に呑(の)まれているから悟りようがない。製作の上に変化を
あらわすのが困難であるならば、その上に徹頭徹尾の模傚(モコウ)を示すのも同様に困難である。