これから先の道のりが、まだ長く残っている様子を言います。
【前途】は、今後の道のり。
【遼遠】は、はるかに遠いさま。
下村湖人の『論語物語』の中で、『論語』の公冶長篇にある宰予(サイヨ)の昼寝をテーマにしたところで
【前途遼遠】がでてきます。
宰予の不徹底さが、孔子の自に映じないわけはなかった。孔子は、【前途遼遠】だ、という感じを
抱きながら、最後にいった。
「人の心というものは、天意に叶わないうちは、のびやかな気分にはなれないものじゃ。
おそらく、今のままでは、お前は永久に心が落ちつくまい。しかし今夜はもうおそい、
帰ってお休み」
宰予は解放された喜びで立ち上がった。しかし彼の心の底には、きわめてかすかではあったが、
まだ経験したことのない、変な寂しさが芽を吹き出して、いくぶんかでも、彼の心をまじめにして
いた。
138年前の明治10年 (1877年)4月16日 札幌農学校(北海道大学)に赴任していた
ウィリアム・スミス・クラーク博士は「青年よ大志を抱け」の言葉を残してアメリカへ帰国しました。
開拓使顧問H.ケプロンの建策により,北海道開発に従事する人材育成のため
明治5年 (1872年) 東京に開拓使仮学校が開設されました。
開拓使仮学校は明治8年札幌に移転して札幌学校と改称されました。
明治9年(1876年)札幌農学校と改称されました。
初代教頭としてマサチューセッツ農科大学長クラーク博士が就任しました。
クラーク博士の影響は大きく、技術者のみならず、内村鑑三,新渡戸稲造らの思想家を生みだしました。