いろいろ様々に違いがあることをいいます。
【千】、【万(萬)】は、数の多いことを表わします。
【差】、【別】は、違いがあることを表わします。
『景徳伝灯録』二五の【千差万別】です。
問う、至理無言(シリムゴン)なり、如何にして信を通ぜん、と。
理(ことわり)の絶対の境地に至っては、是非の言をいれる余地などありません。
どのようにすると、その境地に通じることが出来ましょうか
師曰く、千差万別なり、と
師が言いました、いろいろだよ。
『吾輩は猫である』第二章の【千差万別】です。
よそ目には一列一体、平等無差別、どの猫も自家固有の特色などはないようであるが、猫の社会に
這入(はい)って見るとなかなか複雑なもので十人十色という人間界の語はそのままここにも応用が
出来るのである。
目付でも、鼻付でも、毛並でも、足並でも、みんな違う。
髯(ひげ)の張り具合から耳の立ち按排(アンバイ)、尻尾(しっぽ)の垂れ加減に至るまで同じもの
は一つもない。
器量、不器量、好き嫌い、粋(スイ)無粋(ブスイ)の数を悉(つ)くして【千差万別】と云っても差支え
ないくらいである。
そのように判然たる区別が存しているにもかかわらず、人間の眼はただ向上とか何とかいって、
空ばかり見ているものだから、吾輩の性質は無論相貌(ソウボウ)の末を識別する事すら到底出来
ぬのは気の毒だ。
同類相求むとは昔しからある語だそうだがその通り、餅屋(もちや)は餅屋、猫は猫で、猫の事なら
やはり猫でなくては分らぬ。