【燭(ショク)を秉(と)りて夜(よる)遊(あそ)ぶ】と訓読みされまして、
人生は短いのだから、夜も明かりを燈(とも)して遊びましょう。
【秉】は、禾+又 から作られた会意文字です。イネを手(又)でつかむことから「とる」の意味を表わします。
『文選』所収の古詩十九首其十五に、【何ぞ燭を秉りて遊ばざる】と詠われています。
生年不滿百 生年 百に滿たざるに
人の一生は百年にも満たないのに
常懷千歳憂 常に千歳の憂ひを懷く
常に千年の憂いを抱いているとは
晝短苦夜長 晝は短くして夜の長きに苦しむ
昼が短く夜が長いなどと歎くよりは
何不秉燭遊 何ぞ燭を秉りて遊ばざる
蝋燭をともして夜を楽しむべきだ
何能待來茲 何ぞ能く來茲(ライジ)を待たん
どうして来年に延ばそうなんて。
盛唐の李白は、『春夜桃李園に宴するの序』で【秉燭夜遊】を詠ってます。
夫天地者萬物之逆旅 夫れ天地は萬物の逆旅(ゲキリョ)にして
それ天地はあらゆるものを迎え入れる旅の宿
光陰者百代之過客 光陰は百代(ハクタイ)の過客(カカク)なり
時間の流れは、永遠の旅人のようなものである
而浮生若夢 而して浮生は夢の若し
しかし人生は、夢のように過ぎ去っていく
爲歡幾何 歡を爲すこと幾何(いくばく)ぞ
楽しいことも、長くは続かない
古人秉燭夜遊 古人燭を秉りて夜遊ぶ
昔の人が燭に火を灯して夜中まで遊んだのは、
良有以也 良(まこと)に以(ゆえ)有る也
実に理由があることだ
これは、芭蕉:『奥の細道』の冒頭、「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」の原典と言われています。
李白は夜に遊び、芭蕉は旅に出ました。