学識が浅く、見聞の狭いことを表わす四字熟語です。
【浅(淺)学(學)】は、浅い学問ということで、学問・知識が浅く未熟であることの意味です。
【寡聞】は、見聞きして得た知識が少ないことの意味です。
類義の四字熟語としまして、【浅学菲才:センガクヒサイ】があります。【菲:ヒ】は、野菜のカブです。うすい、そまつ の意味もあります。
反対の四字熟語が【博学多才:ハクガクタサイ】です。
『学問のすすめ』十五編に【浅学寡聞】がでています。
原文
ただ旧を信ずるの信をもって新を信じ、昔日は人心の信、東にありしもの、今日はその処を
移して西に転じたるのみにして、その信疑の取捨如何に至りては、はたして適当の明あるを
保すべからず。
現代語訳
ただ、以前、古い習慣を信じていたように、いまは新しいことを信じているのであって、昔は東洋を
信じていたのが、いまは西洋を信じるようになった。その信疑の判断力ということについては、きち
んと備わっているのかどうかは疑わしい。
原文
余輩いまだ【浅学寡聞】、この取捨の疑問に至り、いちいち当否を論じてその箇条を枚挙す
る能わざるは、もとよりみずから懺悔するところなれども、
世事転遷の大勢を察すれば、天下の人心この勢いに乗ぜられて、信ずるものは信に過ぎ、
疑う者は疑いに過ぎ、信疑ともにその止まるところの適度を失するものあるは明らかに
見るべし。
現代語訳
私は、学問も浅いし見聞も広くないので、それぞれの場合についてきちんとした判断の基準を示す
ことは、申し訳ないができない。
けれども、世の中の大まかな動きをみてみると、世の中の人はこの動きに乗せられて、信じている人は
信じ過ぎ、疑っている人は疑い過ぎ、両者の均衡を失った者がいるのは明らかである。