道理にかなっていることと外れていることです。
【理非】は、道理にかなっていることと外れていること。
【曲直】は、曲がっていることと真直ぐなこと、から邪まなことと正しいこと。
判断の両極を二つ並べて熟語にして、語調を整えるのと同時に意味を強調した四字熟語です。
福沢諭吉『学問のすすめ』第七篇に【理非曲直】がでています。
力をもって政府に敵対するはもとより一人の能くするところにあらず、必ず徒党を結ばざる
べからず。すなわちこれ内乱の師(いくさ)なり。けっしてこれを上策というべからず。
すでに師を起こして政府に敵するときは、事の理非曲直はしばらく論ぜずして、ただ力の
強弱のみを比較せざるべからず。
しかるに古今内乱の歴史を見れば、人民の力はつねに政府よりも弱きものなり。
また内乱を起こせば、従来その国に行なわれたる政治の仕組みをひとたび覆(くつが)えすはもとより
論を俟(ま)たず。
しかるにその旧(もと)の政府なるもの、たといいかなる悪政府にても、おのずからまた善政良法あるに
あらざれば政府の名をもって若干の年月を渡るべき理なし。
ゆえに一朝の妄動にてこれを倒すも、暴をもって暴に代え、愚をもって愚に代うるのみ。
また内乱の源を尋ぬれば、もと人の不人情を悪(にく)みて起こしたるものなり。しかるにおよそ
人間世界に内乱ほど不人情なるものはなし。
第七篇は『国民の職分』を説明している篇です。
引用した【理非曲直】を含んでいるところは、内乱の不合理さを述べているところです。
安政7年3月3日(新暦1860年3月24日)、大老井伊直弼が江戸城桜田門外で水戸・薩摩の浪士達によって暗殺されました。
「桜田門外の変」は福沢諭吉25歳の時の出来事でした。
この年1月~5月まで「咸臨丸」で渡米していましたので、直接知ることは無かったようです。