広く一般に通じる普遍的な原理で、人が生まれながらにもっている権利のこと、すなはち『基本的人権』のことを言います。
【権理通義】は、『学問のすすめ』第二編に7カ所でています。福沢諭吉は力説しています。
1)ゆえに今、人と人との釣合いを問えばこれを同等と言わざるを得ず。ただしその同等とは
有様(生活状態)の等しきを言うにあらず、【権理通義】の等しきを言うなり。
2)いわゆる雲と泥(どろ)との相違なれども、また一方より見てその人々持ち前の【権理通義】をもって
論ずるときは、いかにも同等にして一厘一毛の軽重あることなし。
3)すなわちその【権理通義】とは、人々その命を重んじ、その身代所持のものを守り、その面目名誉を
大切にするの大義なり。
4)またいわく、「親と主人は無理を言うもの」などとて、あるいは人の【権理通義】をも枉(ま)ぐべき
もののよう唱(とな)うる者あれども、こは有様と通義(権利)とを取り違えたる論なり。
5)幕府はもちろん、三百諸侯の領分にもおのおの小政府を立てて、百姓・町人を勝手次第に取り扱い、
あるいは慈悲に似たることあるもその実は人に持ち前の【権理通義】を許すことなくして、実に見るに
忍びざること多し。
6)双方(幕府と人民)すでにその職分を尽くして約束を違(たが)うることなきうえは、さらになんらの
申し分もあるべからず、おのおのその【権理通義】を逞(たくま)しゅうして少しも妨げをなすの
理なし。
7)かかる悪風俗の起こりし由縁を尋ぬるに、その本は人間同等の大趣意を誤りて、貧富強弱の有様を
悪しき道具に用い、政府富強の勢いをもって貧弱なる人民の【権理通義】を妨ぐるの場合に至りたる
なり。
『学問のすすめ』は、明治初年の国民に、兎に角『学問に励め』と終始語りかけています。
初篇から始まり第十七篇で構成されています。
当初、『学問のすすめ』は、福沢諭吉の故郷に学校が開かれる事に因んで、「学問の要点」を同郷の友人たちに書いたものでした。初篇の端書です。
このたび余輩の故郷中津に学校を開くにつき、学問の趣意を記して旧く交わりたる同郷の友人へ示さんが
ため一冊を綴りしかば、或る人これを見ていわく、「この冊子をひとり中津の人へのみ示さんより、広く
世間に布告せばその益もまた広かるべし」との勧めにより、すなわち慶応義塾の活字版をもってこれを
摺り、同志の一覧に供(そな)うるなり。
明治四年未十二月 福沢諭吉
小幡篤次郎