【耳に提(テイ)して面(まのあたり)に命(めい)ず】と訓読みされまして
人の耳を引き寄せて言い聞かせ、目(ま)の当たりに教えること。丁寧に教え諭(さと)すたとえです。
『詩経』大雅・抑を出典としています。
紀元前九世紀~八世紀、衛の武公が周の厲王(レイオウ)を謗(そし)り、自らを戒めた詩と言われています。
詩中の「小子」が厲王を指しています。
於乎小子、未知藏否。
於乎(ああ)小子、未だ藏否(ゾウヒ:善悪のこと)を知らず。
ああ、若者よ、まだ事の善悪を知らない。
匪手攜之、言示之事。
手もて之を攜(ひ)くのみに匪(あら)ず、言(ここ)に之(これ)に事を示す。
ただ手とり足取りでなく、ここにはっきりと示して教えよう。
匪面命之、言提其耳。
面(むか)ひて之(これ)に命ずるのみに匪(あら)ず、言(ここ)に其の耳を提(あ)ぐ。
面と向かって教えるだけでなく、耳を引っ張ってでも教え諭(さと)そう。
借曰未知、亦既抱子。
借(たと)へ未だ知らずと曰ふとも、亦た既に子を抱く。
まだ知らぬと言っても、もはや子供をもつ年頃。
民之靡盈、誰夙知而莫成。
民の盈(ゆる)む靡(な)ければ、誰か夙(つと)に知りて莫(おく)れて成る。
民は怠ることさえなければ、(物事)は早く知りさえすれば、早く成就する。
『論語』の顔淵篇と衛靈公篇に
己(おのれ)の欲(ほっ)せざる所は、人に施(ほどこ)すこと勿(なか)れ。
と、あります。これが、子供の時から身に浸みこんでいれば、残酷な事件もいくらかは減るものと思います。