この上なく大きく、大切なことを表わした言葉です。
【重】は、呉音でチョウ、漢音でジョウです。
【至大至重】も「シダイシチョウ」、「シダイシジュウ」、両方の読みがあります。
【天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず】の出だしで始まる、福沢諭吉の『学問のすすめ』にでています。いま目にする『学問のすすめ』は17篇構成になっていますが、最初は
このたび余輩(ヨハイ)の故郷中津に学校を開くにつき、学問の趣意を記して旧(ふる)く
交わりたる同郷の友人へ示さんがため一冊を綴(つづ)りしかば、或る人これを見ていわく、
「この冊子をひとり中津の人へのみ示さんより、広く世間に布告せばその益もまた広かるべし」
との勧めにより、すなわち慶応義塾の活字版をもってこれを摺り、同志の一覧に供うるなり。
明治四年未十二月
と、初篇の端書きにありますように小冊子でした。
その後、二篇(明治六年十一月)、三篇(明治六年十二月)、・・・・・・・・・・十七篇(明治九年十一月)と続きまして、明治十三年七月に合本されまして現在の『学問のすすめ』の形になりました。
【至大至重】は第五編にでています。
国の文明は形をもって評すべからず。学校と言い、工業と言い、陸軍と言い、海軍と言うも、
みなこれ文明の形のみ。この形を作るは難(かた)きにあらず。ただ銭をもって買うべしと
いえども、ここにまた無形の一物あり。この物たるや、目見るべからず、耳聞くべからず、
売買すべからず、貸借すべからず。あまねく国人の間に位してその作用はなはだ強く、この物
あらざればかの学校以下の諸件も実の用をなさず、真にこれを文明の精神と言うべき
【至大至重】のものなり。けだしその物とは何ぞや。いはく、人民独立の気力、すなはちこれ
なり。
第五編は端書きからはじまってまして、この端書きが面白い。チョット長い文章ですが読んでみて下さい。
『学問のすすめ』はもと民間の読本または小学の教授本に供えたるものなれば、初編より二編
三編までも勉めて俗語を用い文章を読みやすくするを趣意となしたりしが、四編に至り少しく
文の体を改めてあるいはむずかしき文字を用いたるところもあり。またこの五編も明治七年一
月一日、社中会同の時に述べたる詞を文章に記したるものなれば、その文の体裁も四編に異な
らずしてあるいは解し難きの恐れなきにあらず。畢竟四、五の二編は学者を相手にして論を立
てしものなるゆえ、この次第に及びたるなり。
世の学者はおおむねみな腰ぬけにてその気力は不慥(たし)かなれども、文字を見る眼はなか
なか慥かにして、いかなる難文にても困る者なきゆえ、この二冊にも遠慮なく文章をむずかし
く書きその意味もおのずから高上になりて、これがためもと民間の読本たるべき学問のすすめ
の趣意を失いしは、初学の輩に対してはなはだ気の毒なれども、六編より後はまたもとの体裁
に復(かへ)り、もっぱら解しやすきを主として初学の便利に供しさらに難文を用いることな
かるべきがゆえに、看官(カンカン:読者のこと)この二冊をもって全部の難易を評するなかれ。