チョットした短い言葉、ほんの一言という意味です。
【一言半句】も、聞くに値しない言葉ばかりであるならば、四字熟語としては残りません。
大事な言葉であるからこそ、【一言半句】も聞き漏らすまいとして耳を傾けるのです。
【一言半句】の多くは、聞き洩らさない、疎かにしない のように否定形でその言葉の大事さを際立たせます。
明治の文豪・思想家が四字熟語をふんだに使って、表現をよりリアルにしています。
福沢諭吉『学問のすすめ』には、約50語の四字熟語が盛り込まれています。
『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』を冒頭に置いた初篇で始まる十七篇からなり、文字通り
『学問』の大切さを説いた書物が『学問のすすめ』です。
更に言いますと、明治四年に福沢諭吉の提唱で郷里中津に学校が創立されることになった時、その地の青少年に向けて、語りかけたのが『学問のすすめ』です。
『学問のすすめ』が意外に評判がよく需要が多かったので、その気になって、と言うのは失礼なんですが、第二編、第三篇と書き継いだものが、現存の『学問のすすめ』になったそうです。
【一言半句】は第三篇、『一身独立して一国独立すること』の中に出てきます。
明治維新、間もないころ国民一人一人に独立の気力がなければ、日本の独立は確立し得ないことを福沢諭吉が熱く語っています。
言語も賤しく、応接も賤しく、目上の人に逢えば、【一言半句】の理屈を述ぶることあたはず。
立てといえば立ち、舞へといへば舞ひ、その従順なること、家に飼ひたる瘦せ犬のごとし。
外国と交わる時にあたっては、弊害になる態度であることを述べています。