【菽麦を弁ぜず】と訓読みされまして、大豆と麦とを見分けることもできないような愚か者をいった言葉です。
弁は正しくは、【辨】と書きます。また麦も【麥】が正しい書き方になります。
ですから【不辨菽麥】が正しい表記です。
春秋時代、B.C.573年晋で君主:厲公(レイコウ)を臣下が弑(シ)するという事件が起こりました。
『春秋左氏伝』に成公十八年の出来事として記載がありましてその中に【不辨菽麥】がでています。
十八年春、周暦の正月庚申(コウシン)の日、晋の欒書(ランショ)と中行偃(チュウコウエン)は、
程滑(テイカツ)に命じて厲公を弑(ころ)させ、翼(ヨク)の東門の外に、わずか車一輌だけで
埋葬した。
荀罃(ジュンオウ)・士鮑(シホウ)を派(つかわ)して、王都から周子を迎え、國君に立てた。
この時十四歳。
庚午(コウゴ)の日、(周子は大夫たちと)盟を交わして都に入り、(大夫の)伯子同(ハクシドウ)の
邸に宿泊した。
辛巳(シンシ)の日、武宮で群臣の朝見を受け、臣従せぬ夷羊五(イヨウゴ)ら七人を追放した。
周子有兄而無慧
周子、兄有りて慧(ケイ)無し
周子には兄がいたが、愚かで
不辨菽麥。
菽麥を辨ずること能(あた)はず。
菽(まめ)と麥(むぎ)の見分けもつかなかったので
故不可立
故に立つ可(べ)からず。
國君に立つことが出来なかった。
今日は節分です。
季節を分ける、ことから節分といいます。
春夏秋冬全てに節分があるのですが、現在は春の節分だけを「節分」と呼ぶようになったようです。
節分の豆まき、が現在にも伝わってます。