音声が鳴りやんでも、なお残る響きが細く長く続く様子をいいます。
【余韻】は、あとまで残っている響きです。【余音】とも書きます。
【嫋嫋】は、同じ漢字を繰り返した、畳語による擬態語です。
音声が細く長く響いて途切れないことを表わします。
蘇軾(ソショク)の『前赤壁賦』に【余韻嫋嫋】がでています。長文ですので【余韻嫋嫋】の前後の部分を書きだしました。
『前赤壁賦』は、宋の元豊五年(1082年)秋七月十六日夜、蘇軾が友人と舟遊びして、曹操(ソウソウ)や
周瑜(シュウユ)を偲びつつ、自分のはかない身の上を嘆き、明月と長江の清風なかで詠った賦で、
歴史に残る名文と言われています。
客有吹洞簫者
客に洞簫(ドウショウ)を吹く者有り
誰か笛を吹く
倚歌而和之
歌に倚(よ)りて之に和す
笛に合わせて歌いだす
其声鳴鳴然、如怨如慕
其の声鳴鳴然として、怨むが如く慕うが如く、
むせび鳴くよなその声は、恨むように、慕うように、
如泣如訴、余音嫋嫋
泣くが如く訴えるが如く、【余音嫋嫋】として
泣くように、恨むように、残る声音は細々と
不絶如縷
絶えざること縷(ル)の如し
絶えざることは糸に似て
舞幽壑之潜蛟
幽壑(ユウガク)の潜蛟(センコウ)を舞わしめ、
深淵の龍、感じ入ったか空に舞う
泣孤舟之寡婦
孤舟の寡婦を泣かしむ。
孤舟の寡婦はさめざめと。
蘇軾は正義を通すたびに生涯幾度となく左遷されています。
1079年(元豊2年)に詩文で政治を誹謗したと讒言を受け、黄州(湖北省黄州区)へ左遷となりました。『前赤壁賦』が作られたのは、この黄州時代のことです。
左遷先の土地を東坡(トウバ)と名づけて、自ら東坡居士と名乗りました。
蘇軾は豚の角煮が大好きでした。『東坡肉:トンポーロウ』は東坡居士に因んだものです。