水がすこしずつ浸みこんでいくように、徐々に非難や悪口が信じられていくこと。
またそうした巧みな話術で人を誑(たぶら)かすことも表す四字熟語です。
「浸潤」は液体が浸みこんで濡(ぬ)れることです。思想などが次第に広がることもいいます。
「譖(そしり)」は告げ口、悪口、讒言(ザンゲン)をいいます。
出典は『論語』顔淵です。
子張(シチョウ)、明を問う。子曰く、浸潤(シンジュン)の譖(そしり)、膚受(フジュ)の愬(うったえ)、行なわれざる、明と謂うべきのみ。浸潤の譖、膚受の愬、行なわれざる、遠と謂うべきのみ。
子張:孔子より48歳若い弟子。もの馴れているが誠実さがたりないと、孔子に思われ、また『過ぎたるは猶及ばざるが如し』の「過ぎたる者」のモデルとなった人です。
子張が聡明ということを孔子に聞きました。孔子が言うには
しみこむような(じわじわとくる)悪口や、肌身に受けるような(わずかだけど痛切な)訴え(には
人は動かされ易いものだが、よく判断してそれら)を取り上げようとしなければ、聡明といってよ
いだろう。
逆にそういうこと、すなわち、しみこむような悪口や、肌身に受けるような訴えを、しない人は思慮があると、言っていいだろう。
今から2400年ほど前の、孔子の時代から言うなればマインドコントロール的な話術はあったようです。それに引っかかるか、引っかからないかが、聡明の分かれ道だそうです。