【金甌(キンオウ)欠(か)くる無し】と訓読みされまして、傷一つない金の甌(かめ)のように完全で欠点のないことを表わします。
特に、独立した国が外国からの侵略を受けたことがないことの例えにも使われます。
【甌:オウ】は、區+瓦 から作られた形声文字です。わんやはちを表わします。
【金甌】は、黄金のわんです。
【欠】は、前に向かって口を開いて立つ人を横から見た形で、あくびを表わす字として作られた
象形文字です。
ものがかけることを表わす字として「缺」という字がありました。音つながりで「欠」にかけるの
意味が付加されました。
芥川龍之介の小説『侏儒(シュジュ)の言葉』に【金甌無欠】があります。
誰も自由を求めぬものはない。が、それは外見だけである。実は誰も肚(はら)の底では少しも自由を
求めていない。その証拠には人命を奪うことに少しも躊躇(チュウチョ)しない無頼漢さえ、
【金甌無欠:キンオウムケツ】の国家の為に某某(なにがしそれがし)を殺したと言っているではないか。
しかし自由とは我我の行為に何の拘束もないことであり、即ち神だの道徳だの或は又社会的習慣だのと
連帯責任を負うことを潔しとしないものである。
「侏儒」とは、広辞苑によりますと①こびと。一寸法師。②俳優。③見識のない人をあざけって言う語。となっていました。
『侏儒の言葉』本文の中で
わたしはこの綵衣(サイイ)を纏(まと)い、この筋斗(キント)の戯を献じ、この太平を楽しんでいれば
不足のない侏儒でございます。どうかわたしの願いをおかなえ下さいまし。
と語っていますので、自分自身を謙遜して、②の「見識のない人」の意味で用いていると思われます。