古代中国の夏王朝の桀王と殷王朝の紂王のことを言います。暴君の喩えに使われます。
【癸:キ】は、夏(カ)の桀王(ケツ王)の名前です。
【辛:シン】は、殷の紂王(チュウ王)の名前。
桀王と紂王はどちらも暴君として歴史上有名です。
『十八史略』桀王の一節です。【肉山脯林:ニクザンホリン】の典拠となっています。
諸侯の一人有施(ユウシ)氏を討伐した。有施は、娘の末喜(バッキ)を差し出した。
桀王は末喜を可愛がり、彼女の言うことは何でも聞いた。
贅沢な宮殿をつくりました。そのために人民から税金を取り立てた。
肉山脯林、酒池は以て船を運(めぐ)らすべく、
肉を山のように集め、干し肉は林のように、酒をたたえたところは、舟をこぐことが出来
糟堤(ソウテイ)は以て十里を望むべし。
酒の粕を積み上げた土手は、高くなって十里の遠くさえ見渡せる。
同じく『十八史略』紂王の一節です。【酒池肉林:シュチニクリン】の典拠となっています。
紂は、有蘇(ユウソ)氏を討伐した。有蘇は、姐己(ダッキ)を差し出した。
紂王は姐己を可愛がり、彼女の言うことは何でも聞いた。
税金を重くして、財宝を宮殿に満たした。倉には穀物を満たした。
沙丘の苑台を広め、酒を以て池と為し、肉を懸けて林と為し、長夜の飲を為す。
砂丘の庭園を広くし、酒を以って池を作り、肉を木にかけて林のようにし宴に耽った。
百姓怨望し、諸侯畔く者有り。紂乃ち刑辟を重くす。
人民たちは怨み、諸候には背く者があった
【夏癸殷辛】は文選所収の『東京賦』に出ています。
必ず奢(おごり)を肆(ほしいまま)にするを以て賢と為さば、
たしかに奢りのしほうだいが賢明だとするなら、
則ち是れ黃帝の合宮(ゴウキュウ)、有虞(ユウグ)の總期(ソウキ)、
黃帝が政(まつりごと)をした合宮、舜が政をした總期という建物は草ぶきだから、
固(まこと)に夏癸の瑤臺(ヨウダイ)、殷辛の瓊室(ケイシツ)に、不如(し)かざるなり。
夏の桀王の瑤臺(ヨウダイ)や、殷の紂王の瓊室(ケイシツ)の華麗には、およばない。
湯武、誰か革(あらた)めんとして師(いくさ)を用ひしや。
殷の湯王(トウオウ)、周の武王は、誰を改めようとして武力を用いたのか。