美しい女性を形容した四字熟語です。明るいひとみと、白く美しい齒並びの意味から。
安禄山(アンロクザン)・史思明(シシメイ)の乱でB.C.756年に37歳で非業の死を遂げた楊貴妃を偲んで、盛唐の詩人杜甫が作った詩の中に出てくる四字熟語です。もともとは楊貴妃の美しさを表現したものです。
反乱軍によって捕らえられ、長安に幽閉された杜甫が、曲江(キョッコウ)を訪れました。曲江は長安城の東南にある行楽地で、いまは亡き楊貴妃たちが歓楽を尽くした場所です
幽閉といっても軟禁されたわけではなく、詩作や散策など一定の自由はあったようです。この期間に杜甫は、国破れて山河あり・・・・で始まる「春望」を始め、数々の詩を書き残しています。
【明眸皓歯】は杜甫の七言古詩「江頭(コウトウ)に哀(かな)しむ」、の中で歌われています。曲江のほとりで哀しむという題意です。 七言×20句の詩で、13句目に出てきます。
13句目原文 「明眸皓齒今何在」 「訓読み」 明眸皓齒今何(いず)くにか在る
「訳」 明るいひとみと 真っ白な歯をした あの美女は 今どこにいるのだろう
14句目原文 「血汚遊魂歸不得」 「血は遊魂(ユウコン)を汚して 歸り得ず」
「訳」 血で汚れてさまよう魂は 帰る所すらない
安禄山の乱を逃れて玄宗とともに蜀へ向かう途中、兵の不満を抑えるため、楊貴妃は殺されてしまいます。詩は反乱軍によって長安城に幽閉されていた杜甫が、華やかだったころの都を偲び、楊貴妃の無残な死と長安の今の自分の惨めな姿を重ね合わせて読んだ詩です。
今日は「ひな祭り」です。
古代中国においては、上巳の節句に河で禊ぎを行い、汚れを落とし(これを上巳の祓といいます)
その後に宴を張る習慣があったそうです。また同じ日に「曲水の宴」なるものも行われていました。
奈良~平安時代に日本の貴族階級に取り入れられたのが日本の桃の節句のスタートです。
日本では、禊ぎの代わりに形代(かたしろ)と呼ばれる人形を川や海へ流すという日本独特のものに変わっていきました。
雛段を飾って祝うようになったのは、江戸時代になってからだそうです。