腹や胸におこった治し難い思い病を言います。転じて、救い難い心配事を言う場合にも使われます。
『春秋左氏伝』哀公六年の記事です。
是の歲(サイ)や、雲有り衆赤鳥の如く、日を夾みて以て飛ぶこと三日。
B.C.489年、赤い鳥の群れのように見える雲が、太陽をはさんで三日間も飛び浮かんだ。
楚子諸を周の大史に問わしむ。
楚の昭王が使者を遣わして周の大史に尋ねさせると、
周の大史曰く、其れ王の身に當たらんか。若し之を禜(エイ:祓いの祭り)せば、令尹司馬に移す可し。
周の大史は、災いは王の身にふりかかることであろう。しかし祓いの祭りをすれば、
令尹か司馬に災いをうつすことができます。
王曰く、腹心の疾を除きて、諸を股肱に寘(お)かば、何の益あらん。
昭王は、自分の腹や胸の重い病気を治そうとして、自分の手足のごとき大臣たちに移したとして
何の益があろう。
不穀大過有らずんば、天其れ夭せんや。罪有らば罰を受けん。
私に大きな過ちがないならば、天はどうして私を早死にさせようか。
罪があるなら甘んじて罰をを受けよう。
又焉ぞ之を移さん、と。
他人に移すことはとてもできるものではない。
遂に禜せず。
といって、そのままお祓いの祭りをしなかった、という。
これを孔子は、楚の昭王は大道を理解している。国を失わずに済んだのも、当然である、と評しました。