【臂(ヒ)を振るひて一呼する】と訓読みされまして、腕を振るい一声叫んで自らを奮い立たせることをいいます。
司馬遷が宮刑に処せられた直接の原因は、匈奴に捕えられた李陵(リリョウ)を弁護したからです。
その李陵が虜囚となったのと同じ時期に、匈奴に使者として派遣され、そのまま抑留されていた蘇武(ソブ)と出あいます。このあたりのことは中島敦の『李陵』に詳しく、小説として記載されています。
その蘇武が帰国したあと、交わされた書簡があります。
文選に『答蘇武書:蘇武に答ふるの書』として所収されています。
死傷積野、餘不滿百。
死傷(シショウ)、野(ヤ)に積み、餘(ヨ)は百に滿たず。
死傷者は平原に山となって築き上げられ、殘兵はわずか百にも足りません。
而皆扶病、不任干戈。
而(しか)れども皆(みな)扶病(フヘイ)にして、干戈に任(た)へず。
しかも皆傷ついた者を助けているとは、もはや戦いの役には立ちません。
然陵振臂一呼、創病皆起、
然(しか)れども陵、臂を振るひて一呼すれば、創病(ソウヘイ)皆起(た)ち、
しかし、私が腕を振り上げて下知すると、負傷兵も皆起き上がり、
舉刃指虜、胡馬奔走。
刃(やいば)を舉げて虜(リョ)を指させば、胡馬(コバ)奔走(ホンソウ)す。
剣を振りかざして胡兵を指さしますと、匈奴の騎兵は逃げまどうのでありました。