孔子の座席は暖まることなく、墨子の家の煙突は黒くなることがないという意味です。
孔子や墨子は諸国を遊説して回り、家に落ち着くことがなく、座席の暖まることも、竈を使うこともなかったので煙突に煤がつくこともなかったということです。
班固の『賓(ヒン)の戯(たわむ)るに答う』の文に、【孔席墨突】がでています。
徳を立てるには吾が身自身のことを後にすることはできないし、
功績を揚げるには時に逆らって実現できるものではない。
是(ここ)を以って聖哲の治、凄凄(セイセイ)遑遑(コウコウ)たり、
それ故に聖人・哲人はいつも慌ただしくしており、何かを求めていたものである。
孔の席は温(あたた)からず、
たとえば孔子は席を温める暇はなかったというし
墨の突は黔(くろ)からず。
墨子の家の煙突は煤が着いて黒くなるということもなかったという。
此(これ)に由りて之(これ)を言えば、
このことから考えてみるならば、
取捨は昔人(セキジン)の上務(ジョウム)にして、
何をなし何をなさないかという行為・行動の問題こそが、古人の最上の責務であり
著作は前列(ゼンレツ)の餘事(ヨジ)なるのみ。
著述のようなものは彼らには消閑の慰めごとに過ぎぬのである。