命をかけて真実を記録することを表わした言葉です。
春秋時代、齊の太史(史官)が、崔杼(サイチョ:齊の政治家)が主君を殺した事実を、命を懸けて正史に記録し続けた故事からの四字熟語です。
【太史】は、古代中国の官名。天文・暦法、また、国の記録をつかさどった史官のことです。
【簡】は、文字を記す竹の札で、また、それに記した記録のことを言います。
「書簡」の簡の字です。さらに言いますと「簡」の「間」の部分は「閒」が
正しいのです。「熱燗:あつかん」もそうです。
『春秋左氏伝』襄公二十五年の記録に書かれています
太史書曰、崔杼弒其君。
太史書して曰く崔杼(サイチョ:齊の政治家)其の君を弒(シイ)す、と。
齊の太史が簡冊(カンサツ)に「崔杼がその君を弒した」と書いたので
崔子殺之。
崔子(サイシ)之を殺す。
崔杼はこれを殺した。
其弟嗣書、而死者二人。
其の弟 嗣(つ)ぎて書す、而(しこ)うして死する者二人。
その弟が継いでまた書いて殺された、
其弟又書、乃舍之。
其の弟又書す、乃(すなは)ち之を舍(お)く。
(さらに)三番目の弟が又書いたので、そこで崔杼は、もはや差し許した。
南史氏聞太史盡死、執簡以往。
南史(ナンシ)氏、太史盡(ことごと)く死すと聞き、簡を執(と)りて以て往(ゆ)く。
(このとき)南史氏の某は、朝廷の太史がみな死んだと聞き、
簡冊を持って朝廷に急いだが
聞旣書矣、乃還。
旣に書すと聞き、乃(すなは)ち還(かへ)る。
すでに三番目の弟が書き留めたと聞いて、そのまま引き返した。
「南史」は、太史の部下にあたる史官の名。都の南に住んでいたからとも。
真実を記録し報道するのに、命がけだったんですね。
10月15日から一週間、新聞週間です。