百回が百回とも命中すること、また予想した計画などが全て当たることを表す四字熟語です。
【百発百中】からは、お見事、お見事の意味しかうかがえませんが、実は或ることの戒めに用いられた四字熟語です。
時はB.C.281年。秦の連戦無敗の白起(ハッキ)将軍が次の標的、魏の首都の大梁(タイリョウ」)を攻撃する準備を始めました。大梁が陥落してしまうと、附近の西周王室は非常に危険になります。
この時策士の蘇厲(ソレイ)が周王に、白起の攻撃を阻止する対策を講じるべきであることを言上し、自ら白起の陣へ行き、【百発百中】の故事を持ち出し、次のような話しをしました。
昔、楚の国に養由基(ヨウユウキ)という弓の名人が居りました。遠くから柳の葉の中心を百発百中で射ることができたのです。周囲の人は彼をほめたたえました。ところが通りかかった一人が、
「私なら彼に矢の射方を教えられる」
と言いました。これを聞いた養由基は心中おだやかではありません、
「他の人は皆、私の矢の射方は大変上手いと言っているのに、あなたは私に、矢の射方を教えられると言っている。なんならあなたがここへ出てきて試しにやってみますか」
と言うと、その人は
「私はあなたに矢を射る技量は教えられません。でも考えてもみて下さい、あなたのように柳の葉の百発百中を続けていたら、休むことも出来ません。ひとたび疲れて、一発でも当たらない矢があったら、あなたのこれまでの百発百中の成果が無駄になってしまいましょう。」
と言いました。
蘇厲は更に
「白起さま、あなたは韓、趙等の国を打ち負かしました。そして今また周国の脇を通って魏の大梁を攻撃しようとしていますが、もしこの戦に失敗したら、今まで常勝し続けた努力が無駄になってしまい、名声を傷つけることにもなります。ここはご自身が病気になったことにして、是非出兵をお止めになった方がよろしいと思います。」と言いました。
これを聞いた白起は、自分の百戦百勝の名声を守るために、軽々しくは出兵しまいと考え、体が不調だという口実で、魏の国を攻めることを止めたのでした。
『戦国策』、『史記』に、出ている故事です。