【危うきこと猶(な)お累卵のごとし】と訓読みされます。
積みあげた卵のように不安定で危ういことを表わした四字熟語です。
『韓非子』の十過篇の中にでてきます。
十過というのは十の過(あやまち)と言う意味で、君主にとって、身を滅ぼし国を失う原因となる十種類の過ちが、箇条書きに述べられ後でそれを順次に説明されています。
十の過の十番目は
十曰、國小無禮、不用諫臣、則絶世之勢也。
十に曰く、国は小にして礼無く、諫臣を用いざるは、則ち世を絶つの勢なり。
第十は、国が小さいのに礼を守らず、諫める臣下の意見も用いないでいると、
世継の続かない形勢である。
【危きこと累卵の如し】はこの十番目の過ちの説明の中に出てきます。
春秋の頃、曹という小国が晉と楚の間に挟まれてどうにか独立を保っていました。
晉に内紛があり、公子重耳は亡命の途中、曹を過ぎた。その時の曹公の態度が甚だよくない。
かねて重耳の肋骨はつながっていて、あたかも一枚の骨のようだとの噂を聞いていた曹公は、
公子を裸にしてわざわざこれを観た。
曹の大臣の釐負羈(キフキ)は、妻の進言に基づき
曹公の無礼を詫びつつ、黄金を壺に入れて底に御馳走を詰め、その上に璧玉(ヘキギョク)を
のせて、密かに夜中に人をやって、黄金を贈りました。
重耳は、使者に会うと、再拜してその御馳走は受け取り、黄金と璧玉は辞退しました。
それから十年、今は秦に身を寄せている公子は、その援助で晉に入り晉君となりました。
これが春秋五覇の一人、晉の文公です。
更に三年、文公ははたして兵を挙げて曹に攻め込んできました。
釐負羈が攻撃を免れたことは言うまでもありません。
故曹小國也、而迫於晉楚之間、
故に曹は小国にして、晋・楚の間に迫る、
そもそも曹は小国であって、しかも晉と楚との間に挟まれている。
其君之危猶累卵也。
其の君の危うきこと猶お累卵のごときなり。
その国の危うきことは、累卵のごときである。
そこで、国が小さいのに礼を守らず、諫める臣下の意見も用いないでいると、世継の続かない
形勢である、というのである。
『史記』范雎伝にも【秦王之國、危於累卵。秦王の国は累卵より危うし】としての記載があります。