髪の毛一本で千鈞の重さのものを引くことで、いつ切れるか分からない危険なことのたとえを言います。
一鈞は、6.68㎏ ですから、千鈞は6トン以上と言うことになります。ムリムリ。
韓愈の「孟尚書に与ふるの書」の中に【一髪の千鈞を引くが如し】としてでています。
漢氏已来、群儒区区修補、
漢氏已来(イライ)、群儒区区として修補すれども、
漢以降、多くの儒学者が、こまごまと補い繕(つくろ)ってきたが、
百孔千瘡、随亂随失
百孔千瘡、随つて亂れ随つて失う。
もはや百の穴、千の傷のために正道は乱れ失われ、
其危如一髪引千鈞。
其の危ふきこと一髪の千鈞を引くが如し。
その(滅びる)危険さといったら、一本の髪の毛で千鈞の重い物を引くようなもの。
諸子百家の中の「名家:メイカ」、『列子:仲尼篇』に詭弁の最たる表現としまして、
【髮、千鈞を引く】がでています。その前後の詭弁も記載しました。
そもそも意見というものが無ければ人の心はすべて同じ。
ものはどれだけでも半分に出来るから尽きて無くなることは無い。
影は移動しないというのは本体が動くだけで影が動くわけではない。
髪引千鈞、勢至等也。
髪千鈞を引くとは、勢(いきお)ひ等(ひとしく)なればなり。
髪の毛が千鈞の重いものを引っ張れるのは、勢いが均等にかかるからである。
白馬は馬でないというのは形(馬)と名(=色)は全くの別概念だから。
韓愈は、直言で極めて困難なことの例えに引き
『列子』では、詭弁を用いて不可能なことの喩えに用いています。