はたで見ていられないほど、悲しみいたんで涙を流すことを表す四字熟語です。
【悽】は、忄+妻 から作られた形声文字です。意味は「いたむ」、「すさまじい」です。
【愴】は、忄+倉 から作られた形声文字です。意味は「いたむ」、「悲しむ」です。
【凄愴】は、セイソウと読みまして、語頭子音が同じ双声の擬態語です。
「悲しくいたましい」こと、また「いたみ悲しむ」ことを表わします。
『礼記』祭義篇に、【必ず悽愴の心有り】という文章があります。
【流】は、会意文字です。氵と頭髪を逆さまにした幼児の形から作られました。
氾濫で人が流されていく様子を表わしています。
水死者がうつぶせに浮かぶことを【氾:ハン。うかぶ】、
仰向けに浮かぶことを【泛:ハン。うかぶ】といい、
水中に没している子を上から救おうとしている形が【浮】です。
【涕】は、氵+弟(音符号:テイ)から作られた 形声文字です。目からでる「なみだ」です。
「なみだ」を表わす字は他にも、
「涙・淚:ルイ」は、とぎれなくでる「なみだ」。
「泪:ルイ」は、涙の簡化字」といわれています。
「泗:シ」は、鼻からでる「なみだ」です。
【流涕】は、涙を流す、と言う意味です。
『礼記』檀弓(ダングウ)篇に、
【孔子泫然(ゲンゼン。涙をしたたらせるさま)として涕を流して曰く】という文章があります。
【悽愴流涕】の四字熟語は『孔叢子:クゾウシ。コウソウシ』を出典としています。
明治元 (1868)年、の今日、戊辰戦争で白虎隊が飯盛山で自刃しました。
会津藩では軍を年齢により白虎(ビャッコ)・朱雀(スザク)・青龍(セイリュウ)・玄武(ゲンブ)の
4つの班に分けていまして、白虎隊は16歳から17歳までの少年で編成されていました。
この日、飯盛山にいた白虎隊の隊員が、城下の町に火の手が上がったのを会津城が落城したものと思い、16人の隊員全員が自刃してしまいました。