夏の囲炉裏と冬の扇は、時期がはずれていて、何の役にも立たない、と言う意味の四字熟語です。
後漢の学者王充(オウジュウ)の『論衡:ロンコウ』逢遇(ホウグウ)篇にでています。
作無益之能、納無補之説、
無益の能(ノウ)を作(な)し、補(おぎな)い無きの説を納(い)れ、
役にも立たない才能を(君主に)ささげ、何の足しにもならない意見を(君主に)提出するのは、
以夏進鑪、以冬奏扇
夏(なつ)を以て鈩(ロ)を進め、冬(ふゆ)を以て扇を奏(すす)むるなり。
夏に囲炉裏をすすめ、冬に扇を差し上げるようなものだ。
爲所不欲得之事、獻所不欲聞之語。
得んことを欲(ほっ)せざる所の事を為し、聞かんことを欲せざる所の語を献ず。
君主が望みもせぬことを行ない、君主が聞きたくもない意見を献上するのでは
其不遇禍、幸矣。何福祐之有乎。
其れ禍(わざわ)いに遇(あ)わざるは幸いなり。何の福祐(フクユウ)か之れ有らん、と。
禍にまきこまれないだけもうけもので、果報などあろうはずがない。
元禄5年8月9日、芭蕉は、深川の芭蕉庵を訪れた森川許六と初めて対面しました。
このとき、許六は蕉門に入門しました。
江戸在勤をおえて森川許六が彦根に帰るとき、離別の詞として芭蕉は『柴門(サイモン)の辞』を書き送りました。
その中で、許六の才能に対する敬意と、自己の俳論の吐露を行なっています。
芭蕉の俳諧の神髄を語ったものとして、重要視されています。
予が風雅は、【夏炉冬扇】のごとし。衆に逆(さか)ひて、用ゐるところなし。
私の風雅は夏の囲炉裏や冬の団扇のようなものだ。
人々の求めに逆らって誰も必要としない。
いかにも自分の俳諧は何の役にも立たない、という言い方をしてますが、実はこの言葉の裏には、
まことの文芸を目指すのだという強い自負が込められています。