【不易】は、いつまでも変わらないことであり、時代を超えて人を感動させることをいいます。
これに基づいた句を、千歳不易(センザイフエキ)の句と言うそうです。
【流行】は、それぞれの状況に応じて変化することを言い、時代に応じて変化することもいいます。
これに基づいた句を、一時流行(イチジリュウコウ)の句と言うそうです。
【不易流行】の『去来抄』による説明が以下です。
不易を知らざれば基立ちがたく、
普遍的なことがある、ということを知るのが、句作の基本です。
流行を辧(わきま)へざれば風あらたならず。
時代の変化を知らないと、陳腐な句しか作れなくなる。
対照的な理念と思われるのですが、両者は不即不離の関係にあるんだそうです。
根本においては一つのものだそうです。
『去来抄』に【不易流行】の説明がいろいろ出ています。
岩波文庫『去來抄・三册子・旅寢論』より、抜粋しました。少し長いですが記載しました。
去来曰く、蕉門に千歳不易の句、一時流行の句と云有。
これを二ッに分つて教へ給へども、其基は一ッ也。
不易を知らざれば基立ちがたく、流行を辧(わきま)へざれば風あらたならず。
不易は古によろしく、後に叶ふ句なれば、千歳不易といふ。
流行は一時一時の変にして、昨日の風今日よろしからず、今日の風明日に用ひがたきゆへ、
一時流行とは云はやる事をいふなり。
魯町(ロチョウ:向井魯町。去来の弟)曰く、不易流行の句は古説にや、先師の発明にや。
去来曰く、不易流行は万事にわたる也。しかれども俳諧の先達是をいふ人なし。
長頭丸(チョウヅマル:松永貞徳のこと)已来(イライ)手をこむる一体久しく流行し、
『角樽やかたぶけ飲ふ丑の年』、『花に水あけてさかせよ天龍寺』、と云迄吟じたり。
世の人俳諧は如此(かくのごとき)ものとのみ心得つめれば、其風を変ずる事をしらず。
宗因師一度そのこりかたまりたるを打破り給ひ、新風を天下に流行し侍れど、いまだ此教なし。
しかりしより此かた、都鄙(とひ)の宗匠たち古風を不用(もちいず)、一旦流々を起せりといへども、
又其風を長く己が物として、時々変ずべき道を知らず。
先師はじめて俳諧の本体を見付、不易の句を立、又風は時々変ある事を知り、流行の句変ある事を
分ち教へ給ふ。
しかれども先師常に曰、上に宗因なくんば我々が俳諧、今以て貞徳の涎(よだれ)をねぶるべし。
宗因は此道の中興開山也といへり。
芭蕉の時代『俳句』と言う言葉はありませんでした。
『俳諧の発句』、単に『発句』と呼ばれていました。
『俳句』は、正岡子規の造語です。
8月19日は語呂居合わせで『俳句の日』だそうです。