【肌(はだ)に銘(メイ)じ骨(ほね)に鏤(きざ)む】と訓読みされまして、心に深く刻み込んで忘れないことを言います。
【銘肌】は、皮膚に刻み込むこと。
【鏤骨】は、骨に刻み込むこと。
『顔氏家訓:ガンシカクン』の序致(ジョチ)篇にでている四字熟語です。
平昔の指を追思し、銘肌鏤骨、
古人の教えを学び、心に深く刻み込んで忘れないようにし
徒だ古書の誡め、目を經(へ)耳に過ぐるのみに非ず、
いにしえの教えを、ただ見聞きすることなく、
故に此の二十篇を留めて
ここに二十の篇をまとめ
汝が曹の後車(の誡め)と爲すのみ。
我が後世への戒めとする。
『顔氏家訓』は、中国北斉の顔之推(ガンシスイ)が著した家訓、つまり子々孫々に対する訓戒の書です。
因みに、二十の篇は下記の通りです。篇名を漢音でカッコ書きしました。
1序致(ジョチ)篇 2教子(キョウシ)篇 3兄弟(ケイテイ)篇 4後娶(コウシュウ)篇
5治家(チカ)篇 6風操(フウソウ)篇 7慕賢(ボケン)篇 8勉学(ベンガク)篇
9文章(ブンショウ)篇 10名実(メイジツ)篇 11渉務(ショウム)篇 12省事(セイジ)篇
13止足(シソク)篇 14誡兵(カイヘイ)篇 15養生(ヨウセイ)篇 16帰心(キシン)篇
17書証(ショショウ)篇 18音辞(オンジ)篇 19雑芸(ザツゲイ)篇 20終制(シュウセイ)篇
舒明2年(630年)の8月5日、第1回の遣唐使が派遣されました。
目的は、海外情勢や当時の中国の先進的な技術や仏教の経典等の収集でした。
当時の中国は、今と違って文化の先達であり学ぶことの多い国だったようです。
文字通り当時の中国から学んだことを【銘肌鏤骨】し、出藍の誉れ宜しく立派な国になれました。
現中国に対しては雲泥の差をつけてしまいました。
寛平6年(894年)の派遣が遣唐大使菅原道真による建議により停止されるまで19回派遣されました。