家族からの手紙は、万金にも相当する。
旅にいると家族からの手紙は何よりもうれしいものであるということを表した四字熟語です。
【家書】は、家族からの手紙です。
【家書万金】は、杜甫の五言律詩「春望」の6句目にあります。
国破山河在 国破れて山河在り
城春草木深 城春にして草木深し
感時花濺涙 時に感じては花にも涙を濺(そそ)ぎ
恨別鳥驚心 別れを恨(うら)んでは鳥にも心を驚かす
烽火連三月 烽火(ホウカ) 三月に連なり
家書抵万金 家書 万金に抵(あた)る
白頭掻更短 白頭 掻(か)けば更に短く
渾欲不勝簪 渾(すべ)て簪(シン)に勝(た)えざらんと欲す
杜甫が仕官という年来の希望が叶ったのは、四十三歳の時でした。なんとか希望がかない、これからという
矢先に、突如、安禄山の乱が起きました。
安禄山は、玄宗皇帝の左右にはべる不忠の臣を討つと称して兵を挙げたのでした。
755年の5月、長安の都も危機に見舞われ、玄宗皇帝を始め長安に住まう官吏や貴族たちは、都落ちの
やむなきに至ったのでした。楊貴妃も一緒に逃げました。
杜甫もまた妻子の居た長安の東北方の片田舎へ命からがら脱走したのです。杜甫は、囚われの身となってしまいましたが、彼の官位はあまり高くはなく、また白髪頭の弱々しい老人であったから、生命を許されたばかりでなく、監視も比較的緩かったそうです。
そんな時に作られたのが「春望」です。
安禄山の乱はその後、史思明(シシメイ)親子の乱となって後を引き、完全に終結するのには9年かかりました。しかも当時にあっては世界随一の大国家であったろう唐王朝は、この乱によって最盛期を回復する力を失い、武人は割拠し、ずるずると沈滞していったのでした。つまり唐朝の基盤はこのとき破れたといっていいでしょう。
昔、日本では商店に奉公している人や、お嫁にいった娘さんが、休みをもらって家に帰った日を「藪入り」と言いまして、 この日と1月16日だけ実家に帰ることが許されていたそうです。
また16日は、盆の最終日で、祖先の精霊を送る為に火を焚きます。「盆の送り火」です。