太陽や月が自然に輝いて明らかなことを言った言葉ですが、
これは、孔子が老子に心の修養について尋ねたとき、老子が答えた言葉です。
『荘子』の田子方篇にでています。
孔子は言いました
先生(老子)は天地にも並ぶような徳をお持ちです。それでもまだすぐれた言葉を利用して、
それによって心を修めておられます。
昔の君子もこのようなすぐれた言葉を言う事はできなかったでしょう。
老子は言いました
そうではない。水があふれ流れるのは、ことさらのしわざでなく、水の性質の自然のままだ。
至人が徳にあふれているのも、ことさらに心を修めたのでなく、物の方でおのずからに引かれて
離れる事が出来ないのだ。
天の自ら高く、地の自ら厚く、
それは大空がおのずからに高く、大地がおのずからに厚く、
日月の自ら明らかなるが如し
太陽や月がおのずからに輝いているようなものだ。
夫れ何をか修めんと。
いったい何を修める事があろうか。
孔子は退出すると顔回に向ってこういいました
私の存在を道に比べれば、まあ甕(かめ)の中にわいた醯鷄(ケイケイ:うんか)のようなものだな。
あの先生が蓋を開けてくれなかったら、わしは天地の大きな全体を知らないままで終わったろう。
荘子の老子観、孔子観で述べられた文章です。