この世の中の、何でも彼でも、常に変化していて少しの間も止まってはいない、と言う意味です。
人生のはかなさを表す言葉で、一般的には、世の移り変わりの激しさや人の死を悼むときに使われています。
『涅槃経』にある「諸行無常(ショギョウムジョウ) 是生滅法(ゼショウメッポウ) 生滅滅已(ショウメツメツイ) 寂滅爲樂(ジャクメツイラク)」のことを『諸行無常偈(ゲ)』といいまして「諸行無常」はその第1句として出てきてます。
「偈」:仏典のなかで、仏の教えや徳をたたえるのに韻文の形式で述べたもの
諸行無常
ショギョウムジョウ:諸行は無常なり。 諸々のことは常なく変わり続け。
是生滅法
ゼショウメッポウ:これ生滅の法なり。 生じたものは必ず滅するのがならい。
生滅滅己
ショウメツメツイ:生滅を滅し終わりて。 生じて滅することにとらわれなければ。
寂滅為楽
ジャクメツイラク:寂滅を楽と為(な)す。 こころ静かな楽しみに至る。
しばしば空海作と言われてきた『いろは歌』(実際は作者不明)はこの偈を読んだもの、という説もあります。
いろは にほへど ちりぬるを 諸行無常
わがよ たれぞ つねならむ 是生滅法
うゐの おくやま けふこえて 生滅滅已
あさき ゆめみじ ゑひもせず 寂滅為楽
「諸行無常」は『平家物語』の冒頭にでてきます、それで余計知られるようになったと思います。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」
祇園精舎の鐘の音は、世の中に不変はないと言っているように聞こえる。
沙羅双樹の花の色は、盛んな者は必ず衰えることを表している。
旧暦の2月15日は「涅槃会」でお釈迦様の亡くなった日です。
「願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃」
と西行は望んだのですが、実際には、一日違いの 文治6年(A.D.1190)2月16日に亡くなりました。
新暦(グレゴリウス暦)でいいますと1190年の2月16日は、3月30日なのだそうです。
そうだとすると「花」も「春」も季節感として理解できます。
2月16日が『西行忌』ですが、今日2月15日を『西行忌』とすることもあるそうです。
なんとなくわかる気がします。