深く謀りごとを巡(めぐ)らし、遠い先々のことまで思いをめぐらして綿密な計画を立てること。「深謀」は深い見通しをもったはかりごと。「遠慮」は、将来について考えを巡らし、遠く先のことをおもんぱかるの意です。
「遠慮」に関しては、現在では 遠慮なく言う(広辞苑では、人に対して言動・行動を控えめにすること)とか、招待を遠慮する(広辞苑では、それとなく断ること)などと使われていて「遠く先のことをおもんぱかる」という意味はありません。
これはおそらく、「遠く先のことをおもんぱかる」 ということはいますぐ具体的な行動を取る分けではないので、いまは控え目な態度でいるということから、現在使われている意味が生まれたのではないでしょうか。
それはさておき、「深謀遠慮」が出ている過秦論(秦を過(せ)める論:前漢の賈誼(かぎ)の文章。秦が法治を重んじたあまり、二世で亡びたことを批判した文)の前後の文章を参考までに掲げておきます。
『秦王朝打倒の口火を切った陳勝(ちんしょう:B.C.209年挙兵)の地位は、齊、楚、燕、趙、韓、魏、宋、衛、中山の諸侯より低い。陳勝の軍の鋤(すき)や棒や矛(ほこ)などの武器は、九国の鎌槍や長い戟(げき)より鋭かったわけではない。流刑され辺境の守備兵となる者たちで構成された陳勝の軍は、九国の軍隊に対抗すべくもない。深く謀りごとをめぐらし、遠い先々のことまで思いをめぐらして、軍を進め兵を用いる点でも陳勝はかっての諸侯国には及ばなかった。にもかかわらず、陳勝は成功し、諸侯国は失敗した』 深謀遠慮があったればこそなのでしょう、と言おうと思ったのですが、陳勝の場合はチョット違って別の要素もあったようです。
時代は変わり21世紀、何等拘束力の無い「提言型政策仕分け」がパフォーマンス宜しく丁々発止。でもそこに座を得ていた人達に『深謀遠慮』があっての仕分け論争であれば、見えない拘束力となって税金が無駄に使われることを防ぐことになるのではないでしょうか。