物事が有るか無いかはっきりしないことを言います。曖昧な様子をいいます。
また、思いわずらって心がすっきりしないことにも【うやむや】が『もやもや』という言葉と同じ様に使われます。
たとえば、樋口一葉の「うもれ木」に
憎むが本義か、捨つるが道か、と許(ばかり)迷って判断の胸うやむやに成る時 ・・・・・。
の表現がありまして、気持ちがすっきりしないという意味で【うやむや】が使われています。
『荘子』の寓言に【有耶無耶】の原義としての文章が有ります。
禍福のことを考えてみますと
善には福、悪には禍というように、善悪の報いが必ず対応していることがあります
これを若何(いかん)ぞ其れ鬼、無(な)からん邪(や)
してみると鬼神(キジン)がいないとはいえないでしょう
しかしまた、善いことをしても禍いがあり、悪いことをしても無事だというように
善悪の報いがうまく対応しないこともあります。
これを若何(いかん)ぞ其れ鬼 有らん邪(や)。
してみると鬼神(キジン)がいるともいえないでしょう。
この漢文の例から【有耶無耶】の四字熟語が纏(まと)められたようです。
【有りや無しや】の和文を【有耶無耶】と漢文調に書いて【うやむや】と音読されるようになった。
と言う説もあるようですが、違うと思います。