いくら待っても望みが達成されないことを表している四字熟語です。
「百年河清を俟(ま)つ」と使われことが多いです。それを略したのが「百年河清」です。
中国では、黄河のことを「河」、揚子江のことを「江」と呼び慣わしてきました。ですから、「百年河清」の「河」は黄河のことです。
黄河の黄濁も百年待てばキレイになるだろう、と言うことは生きてるうちには無理だろう。
結局、いくら待っても望みが達成されないと言うことになります。
「百年河清」は『春秋左氏伝』㐮公(ジョウコウ)八年のところに出てきます。
B.C.565年、「鄭(テイ)」が、「蔡(サイ)」を討伐しました。
「鄭」も「蔡」も春秋時代の、当時としては小さな国です。「蔡」は「楚」の属国でしたから、「楚」は仕返しとして「鄭」に攻撃を仕掛けてきました。
「鄭」では即刻会議をひらいて対策を協議しました。
そのとき宰相の子駟(しし)が言いました。
周の詩に
『黄河の濁った水が澄むのを待っていたら(百年河清)、人の寿命ではとてもたりない。占ってもなかなか決まらない。そのうち網にかかったように身動きが散れなくなってしまう』とあるではないか、
ここは一つ楚に従っておいて、国民の苦しみを緩和しよう。強い方について民を守ろう。敵が悪いことをせず、民が苦しまないなら、それでもいいじゃないか。
一見 子駟は国民思いの立派な人に見えますが、反対派を粛清したり、君主になろうとしたり結構な野望を持った人でした。最終的には殺されてしまいます。
年金で最低保証7万円とかなんとか言っているのは、2075年のこととか。
いま50歳、60歳の人は113歳と123歳ですよ。何人生きてるのでしょう。