【一毛も抜かず】とも読みます。物惜しみの甚だしいことを表します。
【一毛】は、ほんの少しの喩えです。
【拔】は、扌+犮(ハツ) から作られた形声文字です。常用漢字体では友の形にしてしまいましたが「犮」が本来の形です。髪も「髮」が本来の形です。
『孟子』尽心上篇で、楊朱と墨翟を引き合いにだして、両者とも道を損なう者であると述べている中に【一毛不抜】がでています。
孟子曰、楊子取爲我。
孟子曰く、楊子は我が爲にす。
孟子が言いました。楊朱は(極端な個人主義者であるから)、万事自分本位にしか考えない。
拔一毛而利天下、不爲也。
一毛を抜きて天下を利するも、為さざるなり。
(だから)たといわずか髪の毛一本抜くぐらいのことで大いに天下の為になるとしても、
決してそれをしない。
墨子兼愛。
墨子は兼ね愛す。
(ところが)墨翟は(これと反対で、無差別の)博愛主義者である。
摩頂放踵(マチョウホウショウ)、
頂(あたま)を摩(すりへら)して踵(くびす)にまで放(いた)るとも、
たとい頭の天辺(テッペン)から足の踵(かかと)まですりへらしても、
利天下爲之。
天下を利することは之(これ)を為す。
天下のためとあればそれをするのである。
このあと、中道主義の子莫(シバク)もやり玉に挙げて、楊朱、墨翟、子莫、三者ともただ一つの立場だけに固執して他の多くの立場の良い所を捨ててしまい、臨機応変さに欠けている。と厳しい批判です。