純粋なまごころをいいます。【誠心】も【誠意】もほとんど同じ意味で、真心のことを言います。
【誠心】は、まことの心。真心。『荀子』解蔽篇での【誠意】です。
亂國の君、亂家の人も此れ其の【誠心】もて正を求めて以て自ら爲(ため)にせざる莫(な)し
乱国の君主、乱家の人でも、すべて衷心から正道を求めて自分のためになるようにと
振る舞うのである。
【誠意】は、心意を誠にする。『大学』第1章第2節で【誠心】の記載があります。
古(いにしえ)の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、まずその国を治む。
その国を治めんと欲する者は、→ → → まずその家を斉(ととの)う。
その家を斉えんと欲する者は、→ → → まずその身を修む。
その身を修めんと欲する者は、→ → → まずその心を正しくす。
その心を正しくせんと欲する者は、→ → まずその【意を誠(まこと)】にす。
その【意を誠】にせんと欲する者は、→ → まずその知を致す。
知を致すは物に格(いた)るに在り。
国を治めるには、最終的に『格物致知:物事の本質をつきつめて理解し、知識を深めること』になります。
『格物致知』をベースにして、さかのぼって天下太平にいたります。
その途中で【誠意】が求められています。
物格ってのち→ → → 知至る。
知至ってのち→ → → 【意誠】なり。
【意誠】にしてのち→ → 心正し。
心正しくしてのち→ → 身修まる。
身修ってのち→ → → 家斉う。
家斉いてのち→ → → 国治まる。
国治まってのち→ → 天下平らかなり。
【誠心誠意】はよく耳にし、また言ったりもすることが多い四字熟語です。
【誠心誠意】が当たり前であれば、殊更に、声高に言われることは無い筈です。
ということは、何事も【誠心誠意】に行なわれることが少ないのでは、ないでしょうか。
看護する心、ケアの心を広く知ってもらおうと、厚生労働省と日本看護協会などがが平成3年に
『看護の日』を制定しました。
看護そのものが【誠心誠意】の行ないですから、【誠心誠意】看護に努めますとはあまり聞きませんよね。