【法を変え、自らを強くす】と言う意味で、1898年に中国で起こった政変を言います。
日本の明治維新を模範にして清朝を強国にするという目的で改革を目ざしたのですが、
改革が実現されてしまうと既得権益が失われて困る連中のため、【変法自強】は失敗に終わりました。
5月から8月までの、あまりに短い改革の日数をとって「百日維新」ともいわれてます。
1898年(光緒22年:明治31年)
5月:『変法自強の策』を康有為(コウユウイ)を中心とする一派が光緒帝(コウチョ帝)に
上書しました。それを踏まえて、光緒帝は言いました
「西欧各国が500年で成したことを日本は20年余りで成し終えた。
我が国土は日本の10倍以上あり、明治維新に倣えば3年にして大略成り、
5年にして条理を備え、8年にして効果を上げ、10年にして覇業を定める」
8月:垂簾政治(女性の摂政)を布いていた西太后(セイタイコウ)は変法を妨害し、
袁世凱の密告に依り、「戊戌(ボジュツ)の政変」と呼ばれるクーデターを決行。
光緒帝は監禁されて実権を失い、変法派の主要人物は処刑。
変法運動は完全に挫折しました
1899年(光緒23年:明治32年)
12月:山東に義和団がおこり「扶清滅洋:清を扶(たす)け洋を滅す」を唱え、
イギリス人宣教師を殺害。これが義和団事件です。
動乱の続くこの年に『甲骨文字』が発見されました。
憲法記念日
1947年(昭和22年)の今日、日本国憲法が施行されました。
日本国憲法は「主権在民」「戦争放棄」「基本的人権の尊重」を三つの柱にしています。
天皇を象徴とするこの憲法はポツダム宣言に基づいた連合国の占領下の国会において定められました。
このため、
連合国から押し付けられた憲法として、改憲を望む『改憲派』。
世界唯一の平和憲法と高く評価する『護憲派』。
この日は、『改憲派』、『護憲派』それぞれが集会などを開き、自分達の主張をアピールします。