バラバラに分裂してしまうことを表わす四字熟語です。「シブゴレツ」とも言います。
中国戦国時代(B.C.403~B.C.221)、七つの国(秦、韓、魏、趙、斉、楚、越)が覇権を争っていました。「戦国の七雄」と言われてましたが、実情は秦だけが強大で残りの国は弱小という「一強六弱」の状態でした。
各国が生き残りをかけて、六弱が力を合わせて一強の秦に対抗する「合従(ガッショウ)策」が蘇秦(ソシン:?~B.C.317)の提案で結ばれます(B.C.330頃)。
鬼谷(キコク)先生のところで蘇秦と一緒に学んだ張儀(チョウギ:?~B.C.309)が秦の為に「合従策」を切り崩しにかかります。
六国それぞれが単独に秦と同盟を結んで、延命を図るのが賢明で有ると言う「連衡(レンコウ)策」を引っ提げて各国へ遊説に走ります(B.C.311頃)。
張儀が「連衡策」を携えて魏へ行き、哀王(アイオウ)を口説いたときにこの「四分五裂」が使われました。
「魏の地勢は、本来戦場に適しているのです。東は斉に、西は韓に、南は楚に、北は趙に、それぞれ囲まれています。いまのままでは少しでも油断するとすぐに開戦になります。安全の保障はありません。これを【四分五裂】の状態と言います」。
と脅され、それまで他国と結んでいた合従の盟約にそむいて、張儀を通じて秦と講和を結びました。
でも講和を結んだから安全と言う訳ではなく、戦乱は続き最終的には
B.C.230年 韓、秦に滅ぼされる
B.C.228年 趙、秦に滅ぼされる
B.C.225年 魏、秦に滅ぼされる
B.C.223年 楚、秦に滅ぼされる
B.C.222年 燕、秦に滅ぼされる
B.C.221年 斉、秦に滅ぼされる
となりまして一強六弱の秦が中国を統一しました。紀元前221年のことです
そのとき日本は弥生時代、文字の無い悲しさ、記録が残っていません。