きわめて大きな志を言います。
【大鵬】は、想像上の大鳥(鳳)の名前です。
『荘子』逍遙遊篇に記載のある言葉です。
ただ、四字熟語として【大鵬之志】の表現はありません。文意を酌んで【大鵬之志】となったのでは、
と思われます。
鳥あり、其の名を鵬(ホウ)と為す。
そこにはまた鳥がいて、その名は鵬(ホウ)という。
背(せ)は泰山(タイザン)の若(ごと)く、翼は垂天(スイテン)の雲の若し。
背中はまるで泰山のようであり、翼は大空いっぱいに広がった雲のようである。
扶搖(フヨウ・つむじかぜ)に摶(はう)ち羊角(ヨウカク)して上ること九万里、
(さてこの大鵬は、)はげしいつむじ風にはばたきをすると、くるくると螺旋(ラセン)を描いて
九万里もの上空に舞い上がり、
雲気(ウンキ)を絶(こ)え、青天を負いて然る後に南せんことを図(はか)り、
雲気の層を越え出て青い大空を背負うと、そこで始めて南方を目ざして
且(まさ)に南冥(ナンメイ)に適(ゆ)かんとするなり。
南の海へ、行こうとするのである。
137年前の明治10年 (1877年)のこの日、札幌農学校(現 北海道大学)に赴任していた
ウィリアム・スミス・クラーク博士は「青年よ大志を抱け」の言葉を残してアメリカへ帰国しました。
札幌農学校は、明治初期の高等農業教育機関で北海道大学の源流です。
開拓使顧問H.ケプロンの建策により,北海道開発に従事する人材育成のため
明治5年 (1872年) 東京に開拓使仮学校が開設されました。
開拓使仮学校は明治8年札幌に移転して札幌学校と改称されました。
明治9年(1876年)札幌農学校と改称されました。
初代教頭として就任したマサチューセッツ農科大学長クラーク博士の影響は大きく,技術者のみならず
内村鑑三,新渡戸稲造らの思想家を生みだしました。