朝夕鍛錬に励むことをいいます。
宮本武蔵の『五輪書:ゴリンのショ』地之巻に記載されています。
我、三十(みそじ)を越えて跡をおもひみるに、
自分は三十歳をこえて自分の足跡をふりかえってみると
兵法至極してかつにはあらず。
自分が勝ったのは兵法を極めたからではない
おのづから道の器用有りて、天理をはなれざる故か。
生まれつき武芸の才能に恵まれ、天の理にかなっていたためだろうか。
又は他流の兵法、不足なる所にや。
または他流の武芸が不十分であったためであろうか。
其後なほもふかき道理得んと、
その後、一層深く兵法の道理を得ようと
朝鍛夕錬してみれば
朝夕、鍛錬してみると、
おのづから兵法の道にあふ事、
おのづと兵法の道にかなうことができるようになった、
我五十歳の比(ころ)なり。
自分が五十歳の頃であった。
慶長17年(1612年)のこの日、美作の浪人・宮本武蔵と細川家指南役・佐々木小次郎の決闘が、
豊前小倉沖の無人島・舟島で行なわれました。
舟島はその後、巌流島とよばれました。
巌流とは敗れて死んだ小次郎の流派です。