学問所・講堂のことを言います。
【緇】は、くろ、黒色の意味を表す字です。
【緇林】は、黒いとばりを巡らしたように、暗く茂った林をいいます。
【杏壇】は、あんずの木の生えた高台をいいます。
後世、孔子学団が学んでいた場所、建物を杏壇と言います。
「壇:ダン」の字に似ている「擅:セン。ほしいまま」の字を使った「独擅場:ドクセンジョウ」が
誤って「独壇場:ドクダンジョウ」となって、今に至ってます。
本来「独擅場:ドクセンジョウ」でした。
【緇林杏壇】は『荘子』漁父(ギョホ)篇に記載があります。
魚父篇は、漁師の老人と孔子との問答を中心にした説話的な一篇です。
儒家の形式的人為性、世俗性を批判して、心情の自然性を尊重し、そこから「道」とか「真」を解説しています。
孔子、緇衣の林に遊び、
孔子は黒々と茂った森林のなかで遊んだあと、
杏壇の上に休坐す。
アンズの樹の生えた高台の上で休息して坐っていた。
弟子書を読み、
弟子たちは、書物を読み
孔子弦歌して琴を鼓す。
孔子は琴を奏でて歌を唱った
明治10年(1877年)のこの日、「東京開成高校」と「東京医学校」が一緒になり、
「東京大学」が創立されました。