一緒に竹馬に乗って遊んだ友だち、すなはち幼友達のことをいいます。
中国の【竹馬】は、竹の棒を馬にたとえ、前にたてがみをつけたものの上に跨り、後ろを地につけたまま走りまわるものです。
日本のいわゆる【竹馬】とは違います。
東晋の殷浩(インコウ:?~356年)と桓温(カンオン:312年~373年)は、若くから名声を謳(うた)われており、二人はよきライバルと見られていました。
ところが、桓温の方では、日頃から殷浩の事をあまり快く思っていませんでした。
殷浩が抜擢されて、北伐に出向きましたが失敗してしまいました。
殷浩のこの北伐失敗に乗じて、桓温は直ちに入念な上奏文を認め、帝に訴えました。
殷浩を庶人に身を落とされ、今の浙江省に流されてしまいました。
殷浩が流されてから、桓温は人にこう語った。
少時吾與殷浩共騎竹馬、
少(わか)き時、われ殷浩と共に竹馬に騎す。
わしは子供のころ、殷浩といっしょに竹馬にまたがってあそんでいたが、
我棄去、
われ棄(す)て去(さ)るに
わしが竹馬を棄てさると、
殷浩輒取之。
殷浩 輒(すなは)ち之(これ)を取る
殷がいつも取っていた。
故當出我下也。
故(ゆえ)に當(まさ)に我が下に出(い)づべし、と。
だから、あれはわしの下に出るのが当然だ。
『晉書』殷浩傳にみえるエピソードです。
最初に登場した【竹馬の友】は仲好ではなかったようです。