ナンにもしない、ナンの能力もない。そんな状態を表す四字熟語です。
【無為無能】を言ったり、書いたりするとき、いまはほとんどが悪口としてです。でもたまに自分のことを謙遜して言う場合に使われることもあります。
ところがこの【無為】は、中国古代の思想『老子』では、政治の理想を述べる言葉として使われています。
「政治は小賢しい人為を行わず、何もしないで天下が治まるのを理想とする。そのためには宇宙と人生の根源的な不滅の真理である「道」に従いなさい」。
あまり良く分かりません。「道」なんて言ってますが、私にはチンプンカンプン、さっぱりわかりません。
中国古典では、主に老子に関してですが、「無為」がよく登場します。あくまでもプラスイメージで。
『老子』第3章 ・・・・・・・・ 無為によって事を処理していけば、治まらないことはないのだ。
『老子』第57章・・・・・・・・ 私が無為でいると、人民は、おのずとよく治まるもんだ。
『論語』衛霊公 ・・・・・・・・ 無為にしてうまく治められた人は、舜だろうね。
『史記』老耼伝 ・・・・・・・・ 老子は無為にして、おのずと人を感化した。
老耼(ロウタン)は老子のことです。
【無能】は初唐の詩人、宋子問(ソウシモン:?~712)の五言律詩(五言×8句)『陸渾山荘』の尾聯(ビレン:7句と8句のこと)にでてきます。
去去獨吾楽 遠く去って、この山荘。我れ独り楽しまん。
無能愧此生 無能なるかなこの我が身。生きているのを愧ずればなり。
もしかしてあの大臣、老子に倣っての『無為』なのかな・・・・、イヤ違うな、『無能』と言われているのだから。