宴席で、相手の攻勢をうまいことかわして、なごやかに交渉することを表します。
【樽俎】は、酒樽と料理を載せる台である【俎】を表していることから、宴会の席をいいます。
【折衝】は、【衝(つ)くを折(くじ)く】と訓読みされまして、衝(つ)いてくる相手の矛先を折(くじ)く、と言う
意味になりまして、外交において相手と交渉で駆け引きをすることを表します。
中国春秋時代、晋の平公(B.C.480年~B.C.456年)は斉を攻めようとして、
范昭(ハンショウ)に斉の様子を窺わせました。
范昭は故意に非礼なことを行いましたが、晏子はそれを巧みに押えました。
范昭は帰国し、晏嬰がいる限り斉はまだ討つべきではありません、と報告しました。
そのため晉は、斉を討つことをとりやめました。
孔子はこれを聞いて
夫不出於樽俎之間
樽俎の間を出でずして、
酒だるを置き、いけにえの動物(俎)をならべ、宴席で談笑しながら、
而知千里之外、
千里の外を知るとは、
千里のかなたの敵国の意を知るとは、
其晏子之謂也
それ晏子の謂なり
まさに晏子のことである。
可謂折衝矣
折衝すと言うべし。
よく折衝したと言うべきである。
『晏子春秋』でのエピソードでした。
『史記』管晏列伝によりますと、晏嬰は身長が6尺(周代換算135cm)に満たず、であったそうです。
常に社稷(国家)を第一に考えて上を恐れず諫言を行い、君主の信頼も厚く、人民にも絶大な人気でした。
【晏子高節】の四字熟語が生まれました。
また質素を心がけ、狐の毛皮を仕立てた一枚きりの服を、三十年も着ていたことから【晏嬰狐裘:アンエイコキュウ】という四字熟語も生まれています。