【虎穴に入らずんば、虎子を得ず】と訓読みされて、危険を冒さなければ、大きな利益や成果は得られないという譬えを表す四字熟語です。
『後漢書』班超(ハンチョウ)伝にでている話です。
班超が鄯善(ゼンゼン)国に使者として行った時、初めは歓迎されていたのですが、次第に
雰囲気が悪くなってきました。
探りを入れて見ると、その時北匈奴の使者も来ていたことが分かりました。
このままでは殺されると考えた班超は怯(おび)える部下達に
虎穴に入らずんば、虎子を得ず。
危険を冒さなければ、大きな成果は得られない
当今之計、独(ひと)り夜に因り火を以て虜を攻め、
さしあたっての作戦としては、夜陰に乗じて匈奴の宿舎に火を放って、
彼をして我の多少を知らざらしむること有るのみ。
敵に我が軍の兵力を知られないようにする。
必ず大いに震怖し、殄尽(テンジン)すべきや。
必ず敵を震え上がらせ恐怖のどん底に陥(おとしい)れ、滅ぼし尽すことが出来るだろう。
と勇気付けて、北匈奴の一団に切り込みました。
班超たちは36人。北匈奴ははるかに多かったが奇襲を受けて、慌てふためき、
見事班超たちの大勝に終わりました。これにより鄯善国は漢に降伏しました。
班超(32年~102年)は中国後漢の軍人です。
西域(現在の新疆ウイグル自治区あたり)から北匈奴やクシャーナ朝を追って後漢の勢力を広げました。
班超の父は班彪(ハンピョウ)、兄は班固(ハンコ)、妹は班昭(ハンショウ)です。
班彪は歴史家であり、司馬遷の『史記』を継いで『後伝:漢書』を編纂していましたが途中で亡くなりました。班固は勅命により、父の業績を引き継ぎ、『漢書』をほぼ完成させたのですが、当時の皇帝:和帝は竇憲(トウケン)一派の逮捕を命令し、班固もまた竇一族の娘を娶っていたため、この事件に連座して獄死してしまいました。
妹の班昭が後を継ぎ『漢書』を完成させました。