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復興への思い
「原発のない世界を」福島から思いをつなぐ 劇団「赤いトマト」主宰・大河原多津子
人形劇団主宰 大河原 多津子
大河原 多津子(おおかわら・たつこ)
・1954(昭和29)年、郡山市生まれ。福島大教育学部卒。30歳の時、船引町(現田村市船引)で有機農業を行っていた大河原伸と結婚し、同時に就農。半年後には夫婦2人の劇団「赤いトマト」を結成。2男3女の母。
■人形劇団「赤いトマト」主宰・大河原多津子 田村市船引(旧船引町)の農家に嫁ぎ、かれこれ26年。以来、農業に従事する傍ら、夫と2人で人形劇団「赤いトマト」を結成し活動してきました。
ところで、私が有機農業に関心を持つようになったきっかけは、学生時代に有吉佐和子原作の「複合汚染」を読んだことに始まります。食の安全性を求める最高の手段は、「自給だ」と思ったからです。自分で作れば、栽培方法も鮮度も自分で管理できるわけだから。30代、40代になると、趣味的な農業からいずれは本格的な農民になるのがいいなと考えるようになりました。
30歳で結婚。母親となってからは、採り立ての野菜で、お金をかけない、しかも豊かな食事で育てようと考えるようになりました。5人の子どもに恵まれ、家の中はまるで小さな託児所のように、いつも騒々しく、いつも雑然としていましたが、思い起こせば幸福な日々であったと思います。
26年前、旧ソ連のチェルノブイリで原発事故が起き、その影響は世界中に及びました。当時、生後2カ月の長女がいた私は、自衛では防ぎようのない原発事故の恐怖を知り、また既に同じ県内に原発があることも知り、反対運動を始めました。広瀬隆氏の講演会を開いたり、生まれてわずか3カ月の長男を連れて東京にデモに行ったこともありました。原発反対署名を集めるためにミニコミ誌も発行しました。
ですが、時が経ち、忙しさが増すにつれ、生活の中の「反原発」にかける時間は減っていきました。無農薬で農業をし、子どもを育てながら、市民運動を続けることの厳しさのうちに、私は少しずつ自分に言い訳をしはじめました。「だってしかたないじゃないか…私1人で自由に使える時間じゃないんだもの…」。まして、子どもに不登校やうつ病の問題が起き、何よりも親として子どもと向き合わなければならない大切な時期なのだと思えば、「私には許される。反原発は確かに大切だけれど、今の私は、とにかく自分の子どもに責任を持つことを優先させよう」と、運動から遠のくことを「許されること」としてしまいました。
2011年3月11日の巨大地震とその後に続く原発事故で、私を最も打ちのめした感覚は、「私はこの事態を、どこまで本気で予想していたのだろう? お前は反原発を言いながら、どこかで事故は起きないと思っていたのではないのか」という強い自責の念でした。
「なぜ私は、運動を止めてしまったのだろう? 生活のために、大切なものを私は失っていたのだ」。そう思うと、涙も出ないほどの絶望感を感じました。
津波の恐ろしい映像と、絶え間ない余震の恐怖、そして見えない放射能に体が強張(こわば)り、動悸が止まない時間の中にいて、力がスーっと抜けていき、自分がカラッポになっていくのを感じました。1人の農民のおばちゃんが、たとえどんなに頑張っていたとしても、今回の事態にどれほどの違いがあったのかとは思います。ですが、「生活のために、運動を捨てたりしなかった人々」もたくさんいることを、私は知っているのです。
だから私は、今度こそ、死ぬまで弛(ゆる)むことなく、運動を続けようと思います。日本中の、いや世界中の原発をなくすために、出来ることは何でもしようと思います。
昨年、顧客の多くを失った私たちは、今年新たな販売方法を考えています。田村市で直売所を一緒にしているグループの仲間たちも、同じように「売れない」苦しみを味わっています。福島の農業をこのまま沈ませたくはありません。自分たちには何の落ち度もないのに、作れない、作っても売れない、こんな不条理を許していいわけはありません。幸い(と言うのも気が引けるのですが)私たちが住む地域の汚染のレベルは、あまり高くはありません。すべての農産物を測定し、その数値を公表して販売する組織を作ろうと思っています。組織の名前は「壱から屋」。土壌の汚染の数値を下げる方法を勉強し、栽培履歴も添えて、買って下さる方を一から探す。そんな心意気を込めました。
考えてみれば、セシウム入りの農産物は、さんざんエネルギーを浪費してきた、先進国と言われている国の大人たちが作ってしまったもの。子どもたちやこの先に続く世代に、放射能の影響を残すことは許されませんが、ウクライナやドイツの基準値を参考にしながら、私たちは食べていこうと、夫とも話しています。
この先、福島が忘れ去られないように、さまざまな方法で「言葉」を発信していくつもりです。裁判という形も取ろうと思っています。ありとあらゆる手段で、まずは日本の原発を止め、核の脅威のない世界にしていきたいと、心から願っています。
多くの皆さま、どうぞあなたの思いを言葉と行動に示してくださいませんか。一緒に、今より少しでも良い世界を残すために、歩を進めていきましょう!