NPO法人Young Leaders in Global Action代表 藤村静子
【略歴】福島県生まれ。県立安積女子高校(現安積黎明高校)、都留文科大学卒業。東京女子大学大学院文学研究科(修士課程:専攻は日本文学)修了。吉祥女子中学・高校(東京都)で国語の教べんを執った後、1989年に渡米。テネシー明治学院(テネシー州)設立に参画し、国語科で教べんを執る。91年にコロンバス(オハイオ州)に転居。日本語補習校で国語を教える。99年にカリフォルニア州パロアルト市に転居し、2007年からスタンフォード大学東アジア図書館に勤務。NPO法人Young Leaders in Global Action代表
NPO法人Young Leaders in Global Action代表・藤村静子 私は今、アメリカのカリフォルニア州にあるサンフランシスコの近くの町に住んでいます。2年前の3月10日、月一度の料理教室で、皆と日本であった地震について話をしていました。大きな地震だったけれど、被害がなく良かったと言うようなことだったと思います。
ところが自宅に戻り、もっと大きな地震があって大きな被害が出たことを知りました。すぐに福島の両親に電話をし、とりあえず無事であることの確認をしました。それからは、出来る限りニュースを見続けました。その中で驚いたのが、福島第一原子力発電所の爆発映像でした。どのチャンネルも同じ映像を流し続けていました。なかでも、黒いきのこ雲を吹き上げる3号機の映像を見たときは、目を疑いました。そして思ったことは、これから福島はどうなるのだろうか、と言うことでした。
5月のはじめに実家に帰り、短い時間でしたが近くの避難所のお手伝いをさせていただきました。避難所は実家から歩いて20分くらいの所でしたので、毎日歩いて通いました。例年なら皆が忙しく農作業をしているはずなのに、田畑で働く人をほとんど見かけませんでした。避難所は原発から30㌔のほんの少し外側なので、避難区域ではないけれど農作業ができなかったのです。誰もいない畑には、今まで見たことがないほどきれいな菜の花が咲いていました。その時、小学校の先生の「もし原発が事故を起こせば、あなたたちの故郷はなくなるかもしれない」とおっしゃっていた言葉を思い出しました。そしてこのままでは、故郷がなくなるかもしれないと本気で思い、何か私にできることを探さなければと考えました。
私の住んでいる所は、シリコンバレーと呼ばれる世界的に有名なIT産業の中心地
です。でも、はじめからこの地がそのような有名なところかといえば、そうではありませんでした。世界的に有名なスタンフォード大学もまた同様で、ヒューレット・パッカード(HP)社ができて有名になったことで、その名も知られるようになりました。それまでは卒業しても就職する会社など周りにない、田舎の大学にすぎなかったのです。
HPができてパロ・アルトの町が大きくなり、アップル(Apple)社ができてクーパチーノの町が整備され、オラクルができ、レッド・ウッドシティーがきれいになりました。有名なフェイスブック(FB)社が最近移った先は、この辺りで有名な貧民街ですが、あと数年も過ぎればそのような所だったのかと思うほど、裕福な町に生まれ変わることでしょう。
貧民街でも荒地でも塵処理場でも、産業が興ればその町は栄えます。ここに住んでいるとそのことが心底実感できるのです。「百聞は一見にしかず」と言う言葉がありますが、どんなに説明を聞いてもなかなか想像がつかないと思うので、福島の若者にも実際にここに来て、そのようなことを感じてほしいと切に願っています。そして心から実感することができれば、福島は田舎だけれど、いや田舎だからこそかえって新しい産業を興しやすいのでは、という思いを必ず持つようになるはずです。私の役目はここに住んでいる地の利を利用して、そのような思いを持つための機会を福島の子どもたちにつくることだと思っています。
こうした思いから、私たちは今、被災地の若者のための教育・研修プログラムをここアメリカで実現しようと努力をしているところです。農業国である福島で農業ができない現状において、福島の復興再生は、新しい産業が興ることにかかっているといっても過言ではないでしょう。そのためには、産業を興せるような、将来の戦略やビジョンを具体的に立案実行できる次世代のリーダーの育成を急がなければならないと考えます。
そこでプログラムは、福島の若者が企業家としてまたその地域のリーダーとして必要な、グローバルな視点を持つために、何を学ばなければならないかに重点を置いています。有り難い事に、日米両国の多くの方が各方面で、プログラムの実施に協力をしたいとおっしゃってくださっています。
私は福島の生まれですが、私の周りで協力をしたいとおっしゃってくださる人たちは、福島に関係のある人はおりません。でも皆さん、福島のことを深く思い何かしたいと考えて下さっています。たぶん世の中の多くの人が、福島のために何かしたいと思っているのではないでしょうか。そのような皆さまとともに、福島再生の一助を担えたら何よりの幸せと考えているところです。